trick1030

静止画写真も、時間バラバラのパッチワークなので、補正が必要なことがわかった。詳細は、動画での観察者の局所性と一緒にやるので後回しにして、

ベラスケスのラス・メニーナスに戻ろう。














https://en.wikipedia.org/wiki/File:Las_Meninas,_by_Diego_Vel%C3%A1zquez,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg


ベラスケスの描いた、この部屋の風景、部屋状態の瞬間を見たのは誰であろうか。
絵の奥に描かれた鏡には、王様と王妃が映っているから、この絵を見ている鑑賞者は、王様か王妃様になった気分になる。

俺は遺伝子的にはオス。遺伝子検査はしていないが、形からオス。
性同一障害でもないんで、同一化対象としては、まずは王様を選ぶ。

しかしそもそも、この絵を見て、自分がなにものであるか、
自分が男であるか、女であるか、分類適用するのは、後のこと。



ロリコン文化圏(禁忌にしていない)に属してはいるが、さほどロリコンでもない俺。
この絵の女の子、好みのタイプではないので興味ないが、

好みの娘だったら、どうだろう。



見るということ。環境空間に対象物を見い出す。
環境空間から、対象物を切り出す。

俺はアルベール・カミュ派なので、読んでもいないサルトルの実存ってのがなんなのか知らんが、


3次元で「クラインの壺」を作る!? - 2ちゃんねる

tv.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1021572600/51-52n

2002/05/27 - サルトル、読んでないんですが、マロニエ板根とベンチも自分もすべてのっぺりと くっついて、表面が1つになったような世界観に嘔吐したと。 机の上に10円玉を、置きます。それが分離できると考えるのは経験ですよね。 そして、10円玉を ...



王様と王妃様は、肖像画をベラスケスに描いてもらってる最中。描かせてるでもいいけど、娘を見ている。

夫婦にとっての娘と、狩猟者である俺が娘を獲物として見るでは意味合いが違うけど、
ヒトとしての娘は、タンパク質だ、塩基だの塊。

生体が、タンパク質やDNAの塩基の塊でできているというのは知識。
LEGOブロックのように、生体が3次元的有機物の塊であることを貴殿は知っているだろうが、
見るということは、3次元的知識は関係ない。



カエルは、動いているものしか餌だと思い込まないように、
ここ100年の物理学者達が、そうだった。

特殊相対性理論の思考実験では、いつも、動いている列車だ、光時計だ、光子だ、へ注意が行っていた。しかし、ここで、

動いていない線路や枕木。に、注意を向けて、動いているようには見えないとは、どういうことか考えよう。




環境空間から、動いている女の子が、
静止している床や壁、
静止して奥に見える鏡や、開口している扉の向こうの空間から

分離される。


女の子が居る部屋の雰囲気から、
女の子に注意が向く。

俺の用語で、女の子というのは、物質的存在。床や壁とは違って、生物学的存在であるから、動的平衡なホメオスタシス。

渦とか滝のようなもので、静止している水面とは違うのだろうが、原子たくさんが、そこにある。



見えるってことは、光を放ったり、反射したりが、俺の眼に入ってくる。

その光景が気に入ったら、好きなときに光を反射する像を近傍に据えることができるように、攫(さら)う。

言葉の世界では、身体を構成する原子群と身体でない原子群をハッキリ区別できるが、
動的平衡は、物質界の原子群を使って一瞬の表情を造りだすので、

この現象の持続性とか、環境空間からの切り離しが及ぼす影響とか不明。


あまり関係ない話をしてもしょうがないので、話を戻して、




動的平衡現象である生体の女の子表面が、光子群を反射して作り出すイメージ。

俺用語で、これを娘と呼ぶ。


ちなみに、動的平衡現象、原子達の離合集散現象が、音声言語を発するのをオバサンと呼ぶ。



動的平衡という大雑把な同一性は、対象である現象に潜む。
認知側の身体反応が引き起こしている幻想。
どちらか一方に分離できないとかは、

哲学にでも任せて、



手を出すリスクと面倒さが、瞬時に頭の中を巡(めぐ)る狩猟者としての俺。
コストに合わん絶望というのを、女官達の中に美女がいれば味わう。悪くない絶望。
この絵には、俺を魅了する美女はいないようだが。

すっぱい葡萄の狐とは、違う。

すっぱい葡萄は、手に入れてからの話。
すっぱいかどうかは、手に入れたいという欲動には関係ない。



絵の中に獲物が何匹かいれば、どれを優先的に狙うか、獲物の絶対的価値評価ではなく、己との相対位置関係や、戦力比を考慮する。

もちろん数学者のように、対象に惚れ込んでしまえば別だが、己の身体がある。

俺には己の身体があるが、王様や王妃のように、絵の中に描かれていない。
リアルタイムの現場に、居なかったからだろうな。




さあ、ここで、アインシュタインの思考実験を思い出してもらおう。

線路が動いて見えない系。そこでは、列車が左から右に動いている。
列車内部空間に鉛直方向に設置されている光時計。
光時計内部空間を下から上に進む光子は、斜めに見えるハズとしている、

アインシュタインの思考実験。斜めに動いてるように見えるハズの光子。



目蓋を閉じてから、頭の中のイメージ世界で、ゆっくりと目を開く。

数学者なら宣言で、線路は動いていない。列車は水平方向右に速度Vで動いている。
光子は、列車側面輪郭内を列車と同じ速度で水平方向横ズレしながら、
1秒間に1単位長さ垂直方向に移動。
(頭の中のイメージ世界だから、合成速度が光速を超えていてもかまわない。)


しかし俺は実験物理学者だ。俺が目を開いたとき、

線路が動いて見えない状態が続く場合、
列車が動いて見えない状態が続く場合、
光子が動いて見えない状態が続く場合。

が、あることに気付く。

実験系を連続観察する動画カメラから線路が動いて見えないように実験系用意する大変さ。



古典力学は、線路と列車の相対性だけだったが、
電磁現象では、カメラと線路の相対性考慮。

「カメラ」と「線路を含む実験系」との関係。

カメラレンズに蓋をしていても、線路と列車と光時計内光子の関係は存在してるだろう。

量子力学の問い、見ていない月は存在しているかは、電磁現象と空間の関係が明らかになってからにしてもらって、

パッシブソナーみたいな、消極的覗き。受信だけでは、観察空間や対象に影響を与えないとする。
実際は、存在するなら、万有引力のように相互作用あると思うが、いまは細かいこと捨象。





ラス・メニーナスに描かれてる部屋風景を見ているのが王様か王妃か、特定できない。

いや、王様が、飛蚊症、加齢黄斑変性、色盲とかで、王妃様がそうじゃないなら、
サングラスに症状を模した傷など付ければ、王様が見ているのか王妃様が見ているのか、体験できる。


周辺視野に男女差があるから、これを視野角としてもいい。

王様と王妃は、視野角の広さが違い、見えている範囲の奥行きさが同じなら、
絵に描かれた鏡の壁面までの距離は、王様からも王妃様からも同じだから、

王様と王妃は寄り添って肖像画を描かれている最中。

王妃様の方が、左右に広い範囲の壁面から同時に情報を受け取っている。

実際には、瞳に入ってくる光子群の入光角度差じゃなくて、網膜細胞分布密度や、脳の情報処理が、
周辺視野の男女差を標準レンズと広角レンズの違いのようにしてるんだと思うが、













男の視野範囲が狭い為に、列車全長を絶えず視野に入れておく為には、
列車が動いているなら、望遠レンズで被写体を追い駆けるように
首を回さなきゃならない。

視野範囲ピッタシに列車全長が見える場合。


首を回すじゃなくて眼球回転で顔からおっぱいに視線を動かすだけでも、
むっつりスケベが、すぐバレる。


一方、女の視野範囲は男より少し広いので、視野を固定したままで、動きを観察できる。


対象への視線距離が、情報入手の遅延に関係してくるから、
光速が有限速度である世界では、中央付近と両端から得たイメージ情報は、同時刻事象群ではない。

対象表面での出来事が、事象時刻。
あちこちからの情報を入手した同時性が、情報の摂取時刻。


対象への垂線と、対象両端線路位置への斜線。
この垂線と斜線の長さが異なる。

この歪の割合と、

1秒前の列車最後尾と、1秒後の列車最先端の線路位置への斜線。

歪の割合が、さらに増した。


補正度合いを揃えなければ、線路上の同時刻風景を描画できない。
立ち位置によって、見かけが異なるのは当然なのだから。

基準系と慣性系という、運動の相対性だけを抽出したいのだから、
立ち位置や視野角による情報の歪度合いは、あとで補正しよう。

この手の、前提条件見過ごしがいっぱいまだあるんで、補正の仕方なんて、後回し。

組み合わせると、計算なしで補正できるんで、観察を局所性でやっていることに、もっと慣れよう。













ドップラー効果についても考えよう。

ベッド平面に寝ているデカルトは、瞳という局所性で天井平面を見ている。

カメラに代理させてるんで、単眼ということで。


対象を静止画として眺めるときの斜線と垂線の歪。
動画として眺めるときの斜線と垂線の歪に相当する視野角の切換え影響は、やったので、

これを捨象して、デカルトは、局所ではなくベッド平面で、天井平面を見ているとする。


貴殿は学校教育が長いだろうから、自分の顔面平面と教室黒板への視線。
これは前方へ突き刺す視線。地面に水平。

ノートを見るときは、教科書のように、国語の授業で先生に指されて、立ち上がって、両腕を伸ばして黒板平面に平行に見ながら、教科書を音読するときもあるけど、

机に広げて書き込むときには、地面に突き刺す視線。



日本国の学校教育の教室には規格があって、窓と廊下がある。

教室にいる自分。目を閉じて、前方後方、上方下方、左方右方へ視線を伸ばす。
自分を基準にした視線。

教室という箱を基準にした場合、黒板側、その反対の後方。
窓側が、黒板を仮想の進行方向前方とすると左側。廊下側が右側。
そして、天井と床面。

包み込む教室を基準にした前後左右上下。

ノーマルは、教室にいる自分の前方は黒板。
しかし目を閉じているので、どっちに向いてるのかわからない。
無重力なら、天井や床も前方になってる可能性がある。


そして、部分空間としての列車。包み込まれる対象としての前後左右上下がある。

列車は運転手さんが座っているのが、前。
JR東日本で、背の低い女性運転手さんが、ずっと立って運転してるの見たことある。

ノーマルなら列車進行方向も、列車の形が示す前方方向と同じ。
列車が踏切で大型トラックに突っ込まれたら、列車側面が進行方向。




列車側面をイメージ正面に据えたアインシュタインの思考実験では、
光速は加算できないとしているのに、水平方向成分と垂直方向成分が加算された光子軌跡。
1秒間に、最大√2単位長さ移動してしまう。

ところでこの場合、列車は右に、光子は上に。動いているから、

イメージを見ている自分に近付いて来ない。
そもそも、自分を3次元空間の立ち位置を持った存在として扱っていないので、

奥行き方向の欠損。ここでは、ドップラー効果が発生しない。



一方、列車を真上から俯瞰したイメージでは、
光子が俯瞰者に向けて上がってくる。

ドップラー効果が発生しそうだが、設計図の三面図では、己の立ち位置がない。
ただ、水平矢印群で、無時間で情報が移動し、スクリーンに投影した影絵を作るだけ。


線路に立って、列車とぶつかりそうな立ち位置からのイメージを正面とした場合、
光時計が近付いてくるので、ここでもドップラー効果が生じそうだが、
己の位置が不明とか不定で、視線方向だけがあるので、ドップラー効果が考慮されない。




列車を線路上の点と見做して、観察者である自分も線路上の点と見做せば、
ドップラー効果を意識して、

列車が線路に等間隔で布置された枕木を通過する度に、
その映像イメージが繰り返し見える時間間隔が短くなるのを意識する。


光じゃなくて音でもいい。繰り返される事象発生は、線路上で等時間間隔だが、
線路上の局所性存在、位置指定された観察者の立ち位置では、

視線方向の方から、光や音がやって来る。事象発生場所が近付いてくるので、
繰り返される事象発生の、情報摂取時刻間隔が短くなってくる。

自分の位置を通り過ぎれば、情報摂取時刻間隔が長くなるドップラー効果。





対象や観察者を点と見做したり、平面と見做したり、するだけで、
ドップラー効果のことを思い出したり、忘れたり。

理論物理学者のやる思考実験のお粗末さ。


ドップラー効果は、局所性存在の観察者にとっての
ピーポーピーポーの救急車のサイレン音や、
恒星からの光の波長。赤方偏移。

救急車や恒星、の局所性存在自身にとっては、等時間間隔での事象発生の繰り返し。




光速一定で、基準系だの慣性系を記述しても、時空連続体仮説がいらないのが、おぼろげに見えてきた。

もちろん、ローレンツ変換のローレンツが勘違いした、肝腎なところは、まだ。





さて、話をまた戻して、



その前に、



数直線は無限性。実験に用意できる線路長さは有限性。
違いはあるけど、ガタンゴトンの音や、鉄製車輪真下に枕木が存在するイメージが
等速直線運動だと、等時間間隔で繰り返される。

このときの線路の気分ってのは、一定時間間隔で、足裏、背中、頬と、
同じ大きさの指先で触れられる感じ。

事象発生は、一定時間毎に局所で生じてるけど、
全身を覆う皮膚のどの場所も、同時刻に存在していると、自分じゃ思っている。

足裏と頬では、脳までの神経伝達の距離が違う。

しかし、日常的には、脳が中央集権的に情報を得るまで、事象が発生していないとは思わない。
まして、消化器系なんか、脳がいちいち意識として情報を受け取って判断していない。現場が処理してる。脳への気分伝達はあるだろうけど。


神経伝達経路長さの違いを補正すれば、脳にとっては一定時間間隔での外部からの接触。
指先でなく、キスでもいい。しかもハーレムの。御相手してくれるのが単数なら、足裏から頬への移動時間がかかるけど、複数なら、時刻同期していれば、しかも移動もないので、基準系だけの等時間隔事象。

脳という局所性から、皮膚のどの部分でも同時性。


地球中心に脳を置いて、ランダムな方向から隕石が地表に落下。でも、等時間間隔。
連続する隕石落下2地点を結ぶ直線距離は、光速移動を超えても構わない。


この話は、わけわらんので、話を戻して、





点と無限性の話はしたんで、あとでちゃんと整理するけど、
残りの有限性の話。有限性の体積や面積もあるけど、長さの話で代表させる。

設計図の三面図や、古典力学では問題なかったこと。
光速一定にしたのだから、

基準系から基準系を見る場合でも、
慣性系から慣性系を見る場合でも、

基準系から慣性系、或いはその逆でも、光速一定にしたい。


デカルトのベッド平面と天井平面。2つの無限性の平行な平面を用意する。

視野角90度の男と、視野角120度の女では、ベッド平面から天井平面への垂線と斜辺の長さ比、歪度が異なるので、補正の度合いが異なる話はした。

同時刻の天井平面にある線分を構成するすべての点を、事象発生時刻を揃えて地図にしたい。
その為には、ベッド平面の局所点であるデカルトの単眼位置までの視線距離を同じ長さであるかのように補正。

こんな感じ。






複素平面の単位円を使うんだが、
いままでは、デカルトの単眼からの空間距離、線分各部位までの長さが不揃いであった。

それをデカルトの単眼からの時間距離に揃えて、方向性を保持したまま座標にしようということ。

正距方位図法みたいなもんだけど、
正過去時間方位図法。


ミンコフスキーの過去円錐は、45度角で1次空間と1次時間の直交座標内を原点に進む光子軌跡だった。

しかしこれだと、45度の両端斜線からの光子2つは、同時事象発生時刻のものが、遅れて、現在時である原点に、同時情報摂取時刻となるけど、

空間的に動かなかった、原点に居続ける自分は、線分両端から斜線を使って時空を旅した光子2つ同時刻の地図が作れない。
1秒前の映像イメージ、動かなかった自分と、1秒前の1光秒離れた地の映像イメージは同時に見れない。

そこで、記憶を頼りに、1秒前から空間的に動いていない自分の1秒前過去映像を緑色円弧に投影しちゃおうということ。

2単位長さの線分を、単位円半分円弧に変換する。





その有用性を、ちょっとずつ紹介してるわけ。


空間概念そのものが換わる。

電磁現象は、存在とイメージと見かけに。





直線性の線路を進む夜行列車。

それを遠くから眺める。眺める自分は局所性存在、点位置。

点位置から線路へ伸ばした視線距離はバラバラ。補正が必要なことは説明したから、
これを補正したと見做して、捨象して考えよう。

線路上を進む夜行列車存在そのものが、光子に頼らず、心眼で存在位置を見えるとする。

これがいままでの古典力学での相対性原理がやってたこと。



で、ここで、「見かけ」と、光速一定の話をしよう。

線路上を進む夜行列車存在そのものを、光子に頼らず、心眼で存在位置を見る。

夜行列車の速度を、面倒なので光速とする。
夜行列車、何両連結なのか知らないけど、ローレンツ変換のローレンツが、動いてる部分空間は進行方向に縮まるだとか、観察者には縮んで見えるとか、トンデモ言ってるんで、

いまは、夜行列車の1点だけに注目する。
夜行列車は線分長さだけど、灯火を1つだけ点けてもらってる状態。




ローレンツ変換のローレンツの呪縛から、少しずつ逃れよう。

単純トリックはバカバカしいものだけど、ジャック・ラカンとか知らないと、
或いは、ある程度の大きさの企業経営者、組織運営者の立場を知らないと、

科学者個人の視点だと気付かないんで、ゆっくり。
まずは科学者個人のものの見方に縛られる範囲での制限に気付いていこう。



夜行列車には、長さがある。1車両編成なのか、3車両編成なのか、9車両編成なのか。
1車両そのものにも、長さがある。

しかしいま、光を灯しているのは1点だけ。その夜行列車が速度C、光速で動いている。



特殊相対性理論は、1次元なら内部空間を持たない長さのない点だったり、
光速が、速度無限大だったりしたら、ガリレオの相対性原理そのままが通用するのは有名なこと。

まあ、そのことは後でやるにして、



1キロ離れた丘から、夜行列車の灯火が光速で真正面を横切るのを見ても。
10キロ離れた丘から、以下同文。
100キロ離れた御日から、以下同文。

夜行列車の灯火が横切る速度は同じ。












ニュートンが月の地球への落下速度と、月軌道接線方向への速度を合成して、月が落ち続けながら地球に落ちてこない説明するのと同じ。



視野角は、どれも同じにしている。

話を簡単にするのに、視野角は60度とすれば、正三角形ができる。

キロメートルも面倒なので、単位長さとする。

観察者から線路までの垂線が、美術館で本物作品を見るときの奥行き距離。

正三角形の1辺長さ、
これを1単位長さ、10単位長さ、100単位長さとする。

視野角底辺の左から右に輝点が光速で移動する。

瞬間を基準にすると、光速で正面を横切る。


視野角底辺の左端から右端への横切り時間を観察者が心眼で計測すると、
1秒間と10秒間と100秒間。

じゃあ今度は、心眼じゃなく、遠くで光った灯火が目に入るまでの伝達遅れを考慮。
待機時間と呼称する。事象発生時刻から情報摂取時刻までのラグ。


視野角底辺左端で考えよう。

事象発生時刻から1秒後に観察者の目に灯火が入る。
夜行列車は動いているけど、線路位置は観察者に対して動いていないから、
基準系で基準系の出来事を観察している。


3つの場合、それぞれ、1秒後、10秒後、100秒後に、灯火が観察者の目に入る。
心眼から遅れること、1秒、10秒、100秒。


視野角底辺左端を基準時間にして、時刻0とする。

斜辺が1単位長さの場合、
時刻1から時刻2までの間、灯火を見続けることになる。

斜辺が10単位長さの場合、
時刻10から時刻20までの間、灯火を見続けることになる。

以下同様。相似形の話だから。












丘にいる観察者には、灯火は等速直線運動しているようには見えない。
線路への視線距離が時々刻々変わるから。

ドップラー効果みたいなもんで、底辺中央に灯火が近付く間は、
視線距離がだんだん短くなっている。事象発生位置と情報摂取位置の距離。


青字 t=0は、絶対時間。線路と丘にいる観察者を同時平面に描いている座標作成者基準。


オレンジの四角枠内には、丘の観察者が、裸眼か双眼鏡か望遠鏡か知らないけど、
地点Aの映像が丘に届いて見えたイメージ。

地点Aを示す、Aという文字が、地点Aの枕木に彫ってあって、それが見える。
枕木には同期した時計も見えて、その時刻が t=0。
さらに、その場所、その時刻に、赤点の灯火。


丘から離れたA地点時刻0に灯火存在。確認時刻は時刻1。確認場所、丘。

同様に、B地点時刻1に灯火存在。確認時刻は時刻2。確認場所、丘。


手で触れて、灯火のある場所ある時刻の存在を確認したわけじゃないけど、
3つの要素、時刻という局所性、灯火という局所性、枕木という線路内局所性が作る塊イメージ、情報を確認した。





20世紀の物理学を信じている物理学者には、この段階で、
「絶対時間」という、ニュートン用語を出すことはアレルギーあるかもしれないけど、
ニュートンがやったことは、座標という象徴の世界に、心眼で見た、時刻や場所の割り当て。

それに対して、緑の観察者には、イメージが見えた方向しかわからない。
持っているのは、自分の腕時計だけ。

A地点が丘からどれだけ離れているかなんて、知識情報なだけ。

A地点のイメージが、いま、見えただけ。
あっちの方向に見えた。で、あって、空間を認識するのは、心眼。

だって、自分の姿は、幽体離脱して俯瞰して見るか、
鏡に映った、自分の像を見るしか、見えないのだから。

それなのに、平面座標に、A地点とB地点と観察者が描かれている。
(手続きなしで、空間内局所3点を同時刻存在として扱っている。)
(これをモナドみたいなわけわからんところからの等時間距離にする。あとで。)


相対性概念を扱わないなら、A地点と観察者だけで十分だけど、

動いているものは、A地点を出発して観察者に向かう情報を運ぶ電磁現象と、
A地点からB地点に向かう、古典力学存在。光速にしてるからこれも電磁現象だけど、
ま、物体の最高速度ということで、古典力学存在。




さあ、だいたい用意出来た。

ラス・メニーナスの絵。絵筆を持って絵を描いたベラスケス自身は、
どうやって絵を描いたのか。


王様の目の位置、点に、iPhoneのカメラアイ、これも点と見做して置けばいいだけ。


これがいままでの物理学。点と無限性だけを使った、縮小拡大の縮尺手続きをあまり注意深く考えなかった物理学。

古典物理学では速度と速度は加算すればよかった。数直線の世界。

しかし、速度は、光速の何分の1という、内分比の世界にしたらどうなるだろうか。


バクテリアの増減のような世界。掛け算・割り算、指数・対数の世界。

夜行列車を点1つの灯火に代表させれれば、縮尺手続きと光速一定の齟齬に気付かない。



幅のある長さ、列車側面のあちこちが同時に見えるとは、どういうことだろう。
視野角底辺左端から右端までの線路長さ、そこにある枕木すべてが同時に見えるとはどういうことだろう。


数直線上の線分は、頭の中の世界だから、どこも、いま。時刻0だ、時刻1で、できたもの。

しかし、生身の世界内存在である観察者にとって、直線的なものは、同時イメージの集合体じゃない。



博多駅から東京駅の線分。その京都駅に立つと、
両端の駅の今現在の存在は、象徴的には、空間距離離れたとこにあるだけど、
現実的には、何時間で行けるとこ。

しかし、想像的、イメージ的にだと、博多駅から東京駅の線分を平面に描き、
自分は、その真ん中あたりにいると、自分の分身を数直線原点に書き込む。


ベラスケスは、王の視座、瞳の位置を使って、画家である自分や王の娘を同じラインに描いている。

絵の中に描かれた鏡は、王の視座、瞳の位置から、もっと離れたところにある。



王様顔面中央と、王妃顔面中央を結ぶ線分を、線路と見立てよう。

光速は一定だ。光速で走る輝点を、王様から王妃まで走らせる。
これに掛かった時間をTとしよう。


心眼を使って、ベラスケスが描いた絵の中の鏡の王様-王妃間を輝点がT時間で走り切ったのをイメージする。

絵の中じゃなくて、本物の壁に設置された鏡。

王と王妃を映しだしてる鏡。

王は、ベラスケスが肖像画を描いているので、動かないようにじっとしている。王妃も。



その王が、壁にある鏡を見ている。鏡に見える王様-王妃間は、縮尺されている。

しかし、鏡の横幅は現実的な長さがある。
王様-王妃間の現実的な長さが、鏡の横幅内に縮尺されて映しだされてる。


これは、鏡の横幅の何%にあたるか、王の瞳からの視野角で、
鏡横幅の見かけ視野角と、「鏡の中の王様-王妃」の見かけ視野角から求めることができる。

壁という無限性に、数直線をあてがうと、王の瞳位置から、
輝点が実際にどれだけ壁平面上を動いて見えたかの長さが求まる。














王の瞳から、鏡内線分、王-王妃への斜線や垂線の差は、ここでは捨象する。

この図は空間図。


これを先程紹介した、正過去時間方位図法にすれば、捨象した部分も補正できるが、
いまは、無視。


実際の王から放った光が、王妃に反射して戻った時間をTとする。

王の顔の表情変化でも、王の持ってる腕時計映像でもいい。
それが部屋奥壁の、鏡内にも映ってる。

王が鏡を見続けて、同じ実験をしても、鏡内に映った腕時計ではなく、
鏡を見ながら、手元の腕時計で、実験開始から終了までの時間を測ると、同じT時間。

鏡は本物の長さを縮尺縮小してるけど、掛かった実験時間は同じ。

鏡の中での光の速度は、見かけ速度となる。



遠近法の世界。


カメラレンズが、遠方の高速道路を等速直線運動する車を捉える。
視線方向固定で。


カメラレンズ上を、ピンぼけの羽虫が横切る。

光速を超えるUFOだ。



説明が長く、まどろっこしくなったが、


王様と王妃の視野角は異なっていた。

王は静止系の列車長さを、ある奥行きに見る範囲視野しかなかった。
王妃は、1秒前から1秒後までの実験観察に必要な、列車を視野に収める視野角を持っていた。
同じ、ある奥行き範囲視野で。

王様ひとりで、静止系で十分な実験視野範囲を作り出す奥行距離。
動画系に十分な実験視野範囲を作り出す為には、奥行距離をもうちょっと確保。


そうすると、遠近法の世界で、異なる奥行き度を使ってることになるから、
光速一定の見かけにならない。


左から右に進む列車速度が、光速の10%でも50%でも、100%でも、
床から天井に移動する光時計内光子の動きを観察する、観察時間は、同じ1秒でしているけど、

1秒間に水平方向に進む距離は異なる。





光子の1秒間あたりの移動量が速度によって、1から√2長さになっている。

これはデカルトの瞳という局所点を観察者の情報集合点としないで、
デカルトの寝ているベッド平面という無限性へ無時間で投影した為のトリック。

列車速度が光速100%の場合、
光子は1秒間に√2移動したことになる。

しかし、アインシュタインの提唱により、2地点間を移動する光子速度は光速一定であるべきだから、本当は√2秒掛かってはずである。

一方、列車速度が光速なので、列車天井であり、光時計最上部は、地点αから地点βに1秒間で移動している。

この矛盾をどう扱うかが、実は、ローレンツ変換のローレンツが見逃した条件に気付けば、
矛盾じゃなく、単純トリックなんだが、

その為に、回りくどい説明してるんで、軽く読み流してくれていればいい。
いちいち、連立方程式の1つの式にだけ固執しても、答えはわからないようなもの。

いくつかの数式を同時に並べれば、未知数、ここでは補正が消去される仕組みになってるんで。

相対性概念を知って、空間そのものの認知が換わることで、わかる仕組み。

天動説と地動説と万有引力の中心点の不動さを、1度に組み合わせる
1人称と2人称と3人称の仕組みなんで。




座標や数直線を見る、頭の中の視線は、視野角という概念がない。だから奥行きが忘れ去られ、
いきなり無限性のスクリーンが見えるとなってしまう。

一方、日常で斜線イメージ、対角線的なものは、水平方向と垂直方向の幅が両方ないと見えない。
視野広さというのは、視野角と奥行きの関数だけど、スクリーン迄の視線距離を、電磁現象が情報を運ぶ時間軸として扱うと、












懐中電灯で壁を照らし出した感じ。

円錐で視野が拡がる。
ミンコフスキーの過去円錐みたい。

この視野内から懐中電灯光源まで、最大光速から、速度0、ただし時間軸を移動するがミンコフスキーの過去円錐だったけど、


アイスクリームの食べれるウェハーでできたコーン(円錐)カップの上に、
半球のアイスクリーム載っけたり、
(潜望鏡画面中心からの等距離プラネタリウム半球ドーム)


地球を赤道に水平な平面で切ったりして円錐と、円弧の膨らみを入れた、
プラネタリウム中心から、懐中電灯でプラネタリウムドーム内壁面を照らし出す感じ。
(どこも等距離。)

懐中電灯で平面壁を照らしだした視線距離、明るさ境界円周までの斜線距離を、
懐中電灯から壁への垂線として、壁を突き抜けるまで同じ距離を延ばす。

そうすると、補正ができたりするんだが、

その前に、



視野角が同じで、異なる広さの視野を扱うとき、光速一定だと、どうなるであろうか。



遠近法だと、光子が1秒で前方を横切る単位長さ1が、

無限の彼方の遠方だと、ほとんど視野角0度の底辺長さになってしまう。

遠近法だと、手前は、10単位長さを額縁枠内の水平幅に縮尺縮小するけど、
奥の方は、100単位長さを額縁枠内の水平幅に縮尺縮小したりする。


そうすると、見かけの光速速度が、変化する。

アインシュタインが要求してるのは、見かけの光速一定じゃない。











言いたいのは、これだけ。

黄色とオレンジの視野。
視野の広いオレンジは、スクリーンまでの奥行きが長い。

青は、1単位長さに区切りを入れた数直線。

黄色視野内でも、オレンジ視野内でも、青の1単位長さは同じ。

その為、視野内専有幅率が、黄色枠の方がオレンジ枠より大きい。

一方、ラス・メニーナスの絵を見ると、、

ベラスケス自身と夫婦の娘である女の子がいるラインが黄色視野。王からの奥行き度。
絵中に描かれた鏡や開口してる扉のあるライン、部屋奥壁が、オレンジ視野。

でも、遠近法の世界では、描かれた絵の世界では、

黄色視野長さも、オレンジ視野長さも、同じ絵の幅長さにされている。




メルカトル図法の作成では、グリニッジ天文台を基準に東半球、西半球として、

東半球に注目すると、赤道の長さが、ラス・メニーナス絵中に描かれている部屋奥壁横幅。
オレンジ視野底面横幅。

北緯30度の緯線あたりの長さが、ベラスケスや女の子が描かれている黄色視野底面横幅。

北緯90度の緯線、長さ0が、王の瞳の位置。


この北緯30度の緯線や、北緯90度の緯線を、赤道と同じ長さにまで伸ばしたのが、
メルカトル図法。

等角図法。でも、距離は正確には表していない。


xy平面の上下左右の光子動きに注目してるときは、黄色底面までの奥行きを使い、
斜線、対角線方向の光子動きに注目しているときには、オレンジ底面までの奥行きを使ってる。

これが、トリック。アインシュタインレベルのトリック。


ローレンツ変換のローレンツのトリックは、もっと根本的なもの。












このページでの言いたいことは、言ったので、

以下は、俺が当初予定してた話。


記録として残してるだけなので、


次ページへどうぞ。



目次に戻って、次のページにどうぞ。
http://zionadtrick.blogspot.jp/2015/09/mokuji.html






あああああああああああああああああああああ


以下、俺用の。途中放棄しているが、

鏡に映った俺自身の肩幅基準で、

鏡の奥にいる俺姿イメージとの相対性が、鏡面で行われどうのこうの。

鏡面の1点が、焦点、ピンホールカメラの穴になってるんだけど、

定規幅では、俺の頭部は局所点と見做すと、目を瞑っても現実的にに肩幅が、
俺から離れてるし、

鏡面に原点をとって、数直線として、象徴的、メジャー、定規の間隔世界。無限性。

鏡面の俺姿イメージにも想像的に、分割により、有限幅からの、見かけ間隔。
定規の間隔と、一定比で、有限視野内では対応さすことができる。





話が、あちこちしてるが、このまま続けさせてもらって、




王様が、ベラスケスに依頼した夫婦の肖像画は、対外的なもので、権威とか、自分の不在、身代わりになるもの、選挙ポスターみたいなものかもしれない。ルイ16世とアントワネットが逃げるときの人相書きにもなってしまう危険なもの。




時を同じに王様は、ベラスケスにプライベートで依頼したのが、ラス・メニーナスなのかもしれない。
美術史の史実の方は、知らん。あくまで、俺のストーリー展開。


肖像画を描いてもらいながら、娘を見守っている時間の記憶。


10年後に、自分達の肖像画を見て、鏡と見比べても、老いたな、だけだが。
自分達が実際に見ていいた光景を再現してもらった絵だから、

記憶が甦(よみがえ)る。



観光地で、風景をわざわざ写真に撮るようななもの。

自分の存在を、カメラを渡して背景と一緒に写してもらっても、
そのカメラ視線は、自分のものではない。

自撮り棒を使って、自分と背景を写しても、そこに存在したの証拠写真にしかならない。

田舎に帰って、自分はあそこにいたんだとか、誰々と一緒にいたんだを、自慢したり思い出したりするにはいいが、自分の視線じゃない。


これを見た、あれを見たの記憶を失いたくないが、風景をわざわざ写真に撮る行為。

しかし娘を見守る視線は、記憶を失いたくない行為とは、また別な気がする。

老いとは違って、成長とか展開。




この娘を見守る夫妻視線の、ラス・メニーナスをベラスケスはどうやって描いたのだろうか。

肖像画を作成中、王様の位置にまで歩いて移動し、王様の視線で描いたかも。
これではベラスケス自身が構図の中にいない。


大様と王妃様の間に、鏡を置いたのかもしれない。




ベラスケスが大様と王妃様の間に、iPhoneを設置して、
キャンバスの側にいるベラスケスの立ち位置から、iPhone液晶画面にベラスケス自身が映っているのが見えるように、iPhone内側カメラで撮影する。

内側カメラレンズを点と見做し、その点位置で集めた情報摂取時刻の光子群角度情報が、瞬時に、液晶画面、有限範囲に拡大されたとする。

http://www.eonet.ne.jp/~mankin/art/tokyou.html










「画家片目」位置に、iPhone内側カメラ
「リンゴ」が、ベラスケス。





ピンホールカメラの点穴を通過した光子群がスクリーンに拡がるには、
点穴からスクリーンまでの奥行き距離が必要だけど、


昔のカメラと違って、画像素子集合体は点と見做してもいいし、
光子群のそれぞれの角度情報を拡げるのに、奥行距離を使わないで、
液晶画面に縮尺拡大できる。





洗面所で鏡の前に立ち、自分姿を見ると、鏡平面より奥に自分の姿が、居るようだ。













古いiPodを鏡にくっつけると、
iPhone6plus 平面は、iPodよりさら奥に隠れた。

本物の俺と、鏡の中の俺イメージが、互いに鏡面から等距離離れてる感じ。




























Blade Runner Image Scanner
https://youtu.be/QOlPNZzneGw?t=84
デッカードは写真の中央に映っていた鏡を拡大し、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13130628943