trick1010



相対性について考えてみよう。

相対性を2者間のこととして扱えたのが古典力学の世界。


電磁現象では見るということが関わってくる。
見るということは、見る機能を持つ身体があるということ。



我見る故に我あり。



我の身体もあれば、我が対象として見た身体もある。

己戦闘機と敵戦闘機の空中戦をイメージしてみよう。




地球とか、地球を取り巻く無数の空気の分子群。
いまは偏西風とか考えないで、

地球を大きな単原子。それを包み込む無数の空気分子群があると見做す。

地球単原子と空気分子群の相対速度を0とする。



ここで戦闘機同士の空中戦が行われている。

戦闘機に比べ、地球単原子は、やたら大きいから、ぶつかったら、
戦闘機壊れちゃう。

戦闘機に比べ、空気分子は小さいから、押し退けても、
戦闘機は壊れない。

それだけじゃなく、空気分子群、押し退けて、
空気密度差から揚力なんかも得ちゃう。




己戦闘機を3次元空間座標原点にすると、
敵戦闘機と地球単原子が動いて描かれる。

敵戦闘機を3次元空間座標原点にすると、
己戦闘機と地球単原子が動いて描かれる。


この2つは、まあ、同じようなものだ。戦闘機の大きさが同じ。


地球単原子を3次元空間座標原点にすると、
己戦闘機と敵戦闘機が動いて描かれるだけじゃなく、

ほとんどの空気分子群は、地球単原子と相対速度0。




アインシュタインの思考実験。同時性破綻があるかないかのを、思い出す。

そこでは、線路に対して動いてる列車に注目してる。



ところが戦闘機同士の空中戦。ドッグファイト。

戦闘機の搭乗員である”君”は、敵戦闘機が”君”にとってどっち方向に
見えるかを意識するだけじゃなく、

地球単原子がどこに見えるかを意識する。


第二次世界大戦の戦闘機にしよう。
機関砲で銃弾を発射する。銃弾は遅いし、

空気分子群を押し分けて、敵戦闘機に向かうんだけど、
光線銃程の速度はないし、


偏差射撃しなきゃだよね。敵の進行方向に狙いを定める。

すでに紹介したように、光学観測、光学観察した方向に敵は、いまいない。
ま、この場合は、銃弾が遅いから、ほとんど無視していいけど。


さらに、自分自身が搭乗している戦闘機の前進速度
(地球単原子と位置関係を変えない、ほとんどの空気分子群に対しての相対速度。)
や、


飛行機ってのは、

でんぐり返しするような pitch
立って腰をひねりながら両腕を腰回りに絡ませ振る
気功のスワイショウ  yaw

左を見たり、右を見たりするとき、首をひねるよね。

数直線の負範囲に注目するとき、左を見ても首回さない。
数直線の正範囲に注目するとき、右を見ても首回さない。

黒板に描かれた数直線の負範囲を見るときは、首を左に回す。
黒板に描かれた数直線の正範囲を見るときは、首を右に回す。

教室の教壇に近い席と、一番後ろの席では、首の回し量が違う。

首なんか使わないで、眼球をちょっと左右に回転させるだけかな。


後は、側転。  roll

側転はマットの上をカニ歩きのように進むけど、それのないの。



自分の身体の回転が、射撃の方向に関係してくる。

地球単原子に対して、上下左右前後の平行移動の相対運動は、
アインシュタインやローレンツ変換のローレンツもやってたけど、

回転運動の相対性を考慮してないよね。


そりゃ、銃弾に比べれば、光速はすげー速いけど、
自分にとっての正面、前方奥行き方向に光線銃発射したら
真っ直ぐ奥行方向に光線が進むように見えるとは限らない。

己の身体が回転してたら。




真っ直ぐな線路に対して、相対速度0の観察者が丘の上から線路を見ていても、
観察者がスワイショウしながらだったら、線路がどう見えるか考えてないのが、

いままでの相対性の正面イメージの扱い方。



正面ってなんだろう。正面っていう概念。
正面画像を構成する点群の同時性存在の手続き。

カメラアイが集めた情報を、液晶画面に描き直す。
このとき、画像は縮小拡大自由自在。

実際には液晶画面に有限の大きさあるけど、座標と見做せば、
無限に小さく、無限に大きくできる。

しかしプラド美術館で、額縁内にある作品の絵は、縮小も拡大もできない。

ただ、鑑賞者が絵に近付くか遠ざかるかで、
絵の見かけの大きさが、大きくなったり小さくなったり。


視野に占める対象、この場合、額縁有限面積が残り視野面に占める割合の変化。



地図を見るとき、自分の立ち位置を意識しない。
地図は本物じゃなく、数直線みたいなもんだ。

google 地図を見るときは、地図内の複数箇所の相互方向性とか、
地図の東西南北を意識はするけど、

鳥のように上空から俯瞰して見ているのに、地面までの距離を意識していない。
地面ではなく、液晶画面だけどね。

アインシュタインが思考していたのは、己の存在を意識しないこのやり方。
学者さんの考え方。己を世界内存在であると意識していない。




天井に描かれた数直線なら、ベッドに仰向けに寝ているデカルトには本物だ。


思考実験の正面xy座標と、天井平面という視野内の有限大きさ。
視野をはみ出る天井平面大きさもあるだろうけど、の、違い。

これは視野角と奥行き距離の関係。

デカルトの生身の目や、カメラアイが見る、本物の正面と、
無限性のxy平面に描き直された、立ち位置不明だったり己不在の正面。

この違いを少し意識しておいてもらおう。


マイケルソンとモーリーの実験で、

いきなり、地球が横移動して見える系では、
光子の移動軌跡が、上下運動ではなく右斜めに上がり進み、
左斜めに下り進む。と、されている。

このとき、どこから見ているのか、空間位置が具体的に指定されていない。

マイケルソンとモーリーも実験はちゃんとやったのに、
解釈の際に、正面に見える範囲が、

光子軌跡の上下運動なら縦線で済むのに、
斜め上下した場合、横幅も実験の観察範囲に入れなきゃだから、

最低限、対角線が視野内に収まる大きさまで、

どちらも視野角が同じなら、後退しなきゃならないはずだ。
プラド美術館で、絵を鑑賞するときのように。

同一条件を作らなきゃ。


視野角が対象の横動きズレ量に引きずられて
動かないものには視野角は0で、動くものには速度vとか速度Cにしていることに、
具体的な立ち位置を象徴的に設定していないから、気付かなかった。


小さい額縁作品も大きい額縁作品も、同じ距離だけ離れて観察するべき。
いや、美術の鑑賞で、こんなことやれって言ってるわけじゃないよ。

無粋な物理学の対照実験じゃ、条件を揃えなきゃ、解釈ができない。ただ、それだけ。




このとき、後退りした分だけ、実験解釈に影響が出る。


光速度が無限でなく有限になったことで、長さというものが、
そのままでは扱えなくなった。

三角測量のやり方そのものも、手続きを厳密にしなきゃだ。


地球上で土木工事してる方々が使ってる光学機器で問題ないんだけど、
量子力学をやるんなら、使い方を換えなきゃ。

デカルト座標じゃ、正面の存在を描き出せない。






そこの詳細も、やるけど、




相対性は、2者間のものではなく、
自分と相手ではなく、第3者、地球単原子とか無数の空気分子群。


新幹線の線路と、列車じゃなく、


新幹線の線路と、上り列車と下り列車。

この3つの相対性を考えなきゃだ。






だが、それだけじゃない。


787に乗ると、席が過密の設定じゃないのだと、エコノミー座席でも、
液晶画面が背もたれに。(古い情報なので、今は知らん。)


対地速度と対気速度

これに、地上での風速を入れよう。

これで3つ巴、とか、3すくみができる。




3つの相対性だけど、

《線路・上り列車・下り列車》 と、

《飛行機&大地 ・大地&空気分子群 ・空気分子群&飛行機》

では、構造が違う相対性のようだ。


ローレンツ変換のローレンツやアインシュタイン。
それに実験物理学者のマイケルソンとモーリーに続いた方々も、

相対性概念が、電磁現象でどうなるかを根本から考えていなかったようだ。


でも、これすべて単純トリックの組み合わせ。





それじゃ、細部の詳細に行きますかい。


ネットでマルチ対戦とかしてれば、もう無意識の方では、
構造できてるんで、知ってるんで、

細部から説明していきましょう。





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以下、記述者用メモ

線分と円 どちらも有限長さ




長さと速度
群速度と位相差 位相速度

ここらは調整。




地上の風速は、各地でバラバラだが、
ここでは、一体として扱っている。